giyamanの日記

いつもの日常だけど・・・

ダーツはハードチップだよな!

あれはいつだったろうか、全日本で23位(多分1990年)のランクになった年か、その翌年だったと思うけれど、ジョン・ローが来日した時に、エキジビジョンマッチに呼ばれた。
東京のシャンペンが出るようなナイトクラブ的なお店の舞台で見世物試合をするわけだ。
1001の1レッグを勝負して観せる。二日に渡った日の二日目に出場した。
だいたい一日日本代表15人と勝負してたような覚えがある。上位ランクの数名は二日とも試合したけど、誰も勝てなかった。なんせテレビ放映してた試合で9ダーツの完全試合を初めて映像に残した人だったし!

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センター勝負でインブルに入れて勝ったのはこの日わしだけであるが、そのあと上がってしまって(何しろ照明や観客やカメラが多かったし、わしの直前の赤帽の中島が、ジョン・ローが170をハイオフした直後だったので、ステージへの前進の足が止まっちまったのだ。170ハイオフを観た観客の拍手が鳴り止まず、中島もうろうろしてちっともステージから下がらないもので!)、あら!インブル入った!と思った瞬間、ジョン・ローがダーツを抜いてくれたもんだから余計上がったんだけど、先行の1本目、いきなりダブルトップ!当然20T(トリプル)を狙ってるんだけど、うわずってしまって偉いズレよう。そのあとのスローも度々ダブルトップに入るもんだから点数は稼げたけれど、試合は400も残してジョン・ローの勝ちだった。
最も、両日とも500以上残して負けた人が大部分で、170以下でフィニッシュトライ出来そうな奴は数人もいなかったという話だ。
女性以外で先行したのもわしを含めて少数だったようだ。
女性はおまけでみんな先行だったみたいだけどね。

ジャパンダーツアソシエイション(JDA)の会員になったのは1981年で、六本木のイギリス人4人が経営するバー、『ローンズ・プレイス』というところで、チームに入ったからだ。この時そこでバイトしていたイギリス人キース・ワダップスが師匠だったかな、日本代表(WDFワールドカップ代表)にもなっている。いつもビールを負けたが、この人もイングランドベスト50に入っていたそうだ。
ワンタン(渡部紘士)が日本代表となって初めて行ったスコットランドは1983年(第4回)だったから凄い昔だね。
だからその約10年後のエキジビジョンマッチも、かなり昔ってことだ。わしは1991年に神奈川選手権でシングルス3位になった時、酔っ払って表彰台でトロフィーを落として壊してるけれど(^o^;)、きっとその所為で引退したんでしょう(^o^;)神奈川の三大酔拳とか言われてたな(^o^;)
なんで酔っ払って出来るんだとも言われてた。勝つ度にカウンターのビールを全部飲もうとしてたからかも(^o^;)(最大ジョッキ14杯並べたのが最高かな)
で、肝心の今日の写真!

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ジョン・ローから貰った記念のボールペンを捨てようかどうしようか迷って、写真にしたもんだから色々思い出してしまったのである。ボールペンにジョン・ローって書いてあるもんだから(^o^;)

ついでに、全日本選手権でチーム戦準優勝した時の写真も見つけた。第16回大会、1990年かな?これは千葉テレビで放映された。
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ふぉーっふぉっふぉっふぉ(^o^;)